例の事件で一言 |
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| 先日、例の事件で高裁が極刑をくだしました。 極刑を回避する理由の一つとして18歳になって間もないから、というのがありましたが、ボーダーラインギリギリなら若干の猶予を見せようというのなら何のための法律なのか、と。じゃあ、その猶予はどこまで線引きしたらいいのか、ということにもなるでしょう。
また見かけた話では、最初からやったことを認めた上で真摯に謝罪すれば極刑は免れたろう、と。最高裁の差し戻しはその最後のチャンスだったのに、裁判官のいう「荒唐無稽」な主張に切り替えたことによりそのチャンスを潰してしまったのでしょう。
若ければ「更正の機会」という言葉がよく出てきますが、じゃあ被害者の立場はどうなるのか。仮に「更正」したとしても人を殺めたことは一生背負っていかなければならないことでしょう。
私はどちらかとしては死刑肯定派なのですが、それは最高刑がそこまでですし「償い」を目的とした刑罰がないことからです。変な話、必要最低限の生活だけ与えて後は命続く限り畑を耕させるくらいの刑罰が欲しいところです。それなら死刑はしなくても良いでしょう。無論、社会には一生出られない方向で。 ……それくらい、いやそれ以上の罪を犯したのですから。 下手に刑務所が居心地がよいのですかね? 自由は大きく失われますが、少なくとも野垂れ死ぬ心配はない。 だから冬になるとお金に困って「刑務所に入りたかった」とか言う人が増えてくるわけで。 税金とか保険料が増えて、生活に絶望し自殺したり無理心中する人をニュースで見るたびに、本当に守るべき「人権」は何なのか、考えてしまいます。
今回の判決が世間を動かす一陣の風になることを祈る次第であります。
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4月23日(水)10:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | なんとなく独り言 | 管理
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