混沌の渦(怪我が治らない)
 
書き捨て御免で突っ走ります
 



2007年8月20日を表示

今の世の中って……

 なんでも大学病院で無茶を言う患者及び家族が増えているそうです。
 検査の結果異常が無かったら金を払わない、とか、付添人を病室に泊めることは出来ないのに延々とゴネるとか、ちょっと態度が気に入らなければ怒鳴りつけるとか。
 これは大学病院での調査なので、一般の病院でもおそらく日常茶飯事でしょう。

 それこそどんなところでも態度が悪かったり、大声揚げてゴネたりする人は見受けられるようです。
 そして二言目には謝罪だの精神的苦痛に対する賠償だのを言い出しそうな雰囲気なわけで。
 それこそ何かあったら「誠意を見せろ」だとか言う輩も多いわけで。
 学校では無茶親が幅を利かせ、権利と義務という物の理解が足りない人たちが蔓延しております。

 そーゆー社会を見ていると、声が大きかったり、ゴネたり、ズルして失敗しても損が無いように見えて、それならやったもん勝ちって風潮が高まってきています。そして結局損をするのは私のような(えー)真面目でズルくない人間ばかり、と。

 私は実害にあったことはないのですが、なんかネットの世界も同じようで。
 別に特に誰かや何かを意図した訳じゃないのに「あなたの発言で傷ついた」とか「配慮が足りない」とか「怒ってます」とか言う人がいるとか。
 中にはそれこそ「謝罪」を求めたり、何かを要求することもあるとか。

 非難されること請け合いなのは重々承知していますが、敢えて言いたい。
 ぶっちゃけ、万人に受け入れられるような発言は出来ないし、更に言うとどんな発言にもケチを付けたり、イチャモンつけたり、「傷ついた」り、「怒った」りするのは至極簡単なことです。

 例えばこーブログとか日記とかで「今日は暑かったので鰻を食べてきました。美味しかったです。」なんて書いたとしても、

「私は鰻みたいな高価な物が食べられる程裕福じゃないのに、そんなことを書かれて傷つきました。世の中には食べたくても食べられない人がいるのに配慮が足りないと思います」
 とか、
「私は身体が弱いので鰻なんて脂っこい物が食べられません。世の中には私と同じ体質の人だって多いんですから、そういう人たちに対する配慮が必要だと思います。」
 とか。それこそ、
「私は太っていて痩せたいと思っているのに、食べ物の話をするなんて大変傷つきました。謝ってください!」
 なんて言うことだって出来るわけです。

 ここでたまに思うのですが「傷ついた」り「怒った」ら、その相手に何を言っても構わないのでしょうか?
 その「反論」で相手が「傷ついた」り「怒った」りしたら同じように返しても良いのでしょうか?
 それとも「私が怒った(傷ついた)のだから、私は何を言っても構わない。でも私を怒らせた(傷つけた)発言者には謝罪以外の言葉は認めない」ということなのでしょうか?
 このダブルスタンダードをどう考えているか私には正直理解できませんが、それを正しいとはとても思えません。
 逆の立場になったら相手も自分がしたように振る舞ってもいい、というなら私も文句は言いません。でも自分の「ルール」を相手が使ったら逆ギレするのは容易に想像できます。

 単なる与太話でもこれだけ「反論」を膨らますことができるんですから、価値観の話になるといくらでも増大させることが出来るでしょう。
 相手の発言を好き勝手に解釈(捏造と言ってもいいかも)し、その解釈を「本音」と決めつける。そしてその「本音」に対して「傷ついた」だの「怒った」だの相手を攻撃する。
 そういうことを繰り返す人に問いたい。

 それで満足?
 それでちっぽけな自尊心が満たされるの?

 ちなみに私は自尊心(プライド)というのは自分を縛る鎖であって、他人に何か強要するための免罪符ではない、と思っております。
 そう考えると、本当に大事なプライドって、薄っぺらでもないし、沢山ある物でも無いんですよね。
 ……今、世の中のモラルが問われてますが、結局は人として本当に大事なプライドの問題なんだろうなー と思います。



8月20日(月)23:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | なんとなく独り言 | 管理


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